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100年物語

1919年(大正8年)~船場商會としての船出

時代背景

第一次世界大戦終戦から日本では新たな経済発展の節目を迎え、今までになかった様々な工業製品・生活用品の数々が一般消費者へ普及し、電力・電灯・紡績・織物などを中心に各地で様々な企業が躍進を始めていた。

関西では松下電気器具製作所(現・パナソニック株式会社)・
日東電気工業株式会社(現・日東電工株式会社)が創設されるなど新たな時代が到来する中、創業者 井上 金三郎 は今後の電気関連の発展と普及に着目し、関西で初めての電気絶縁材料を販売する商店として1919年(大正8年)大阪市東区に船場商會を創業した。


その後1944年(昭和19年)に資本金18万円で株式会社船場商會に
改組、代表取締役として井上長永が就任。
「社業の繁栄と社員の幸福」「社業を通じて社会に奉仕する」
「共存共栄」を社是とし、社業の発展に努めた。

井上 長永

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1946年(昭和21年)~焼け跡からの再出発

時代背景

1945年(昭和20年)第二次世界大戦が終戦、当時の関西は大阪大空襲により都市部の大半が焼野原のまま戦災の爪痕を色濃く残していた。そんな中でも人々は復興に向けて新しい夢や自由と平和を求めて、多くの企業が再スタートする新たな創業期を迎えていた。

井上長永は戦地で怪我を負いながらも何とか無事に帰還する事ができたが、そこに待っていたのは跡形も無く焼けてしまった船場商會の
事務所だった。それでも生き残った社員達は復興への強い思いを胸に一丸となって再建に取り組んだ。何よりも皆の心を支えたのは創業時の信念と、亡くなった仲間たちに対する思いだった。

社長を筆頭に、社員達そして同じ復興を目差す企業の人々に支えられながら奮励し、1946年(昭和21年)には大阪市北区梅田へ新たな
事務所を開設し、再出発を切ることができた。

電気絶縁材料のみならず各種電線やテープ事業を主軸とし、社業を
通じて復興に貢献した。1956年(昭和31年)には新築の事務所を
建てるまでに至り、当時では画期的な3階建ての社屋は通行する人々の注目を浴びた。その後、さらなる販売拡張の為に社員だけでなく、社長自らも取引先を回り事業の発展に努めた。

  • 初荷の風景
  • 本社前にて(1)
  • 当時の本社前風景
  • 大阪市北区の事務所

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1964年(昭和39年)~困難を乗越え、更なる発展へ

時代背景

1964年(昭和39年)日本経済の戦後復興から続く一連の経済成長は「東洋の奇跡」と呼ばれた。
東京オリンピック開催に向けて東海道新幹線開通や首都高速等のインフラ整備、生活水準の向上
などを足掛かりに日本は高度経済成長第二期を迎えようとしていた。

船場商會も経済成長の波に乗り順調に販売拡張に成功したが、同時に問題も発生していた。

流通革命の時代、梅田駅にも近く国道2号線に面した当時の事務所はインフラ整備によって交通量が大幅に増加し、トラックが渋滞に巻き込まれるなど入出荷作業は困難を極めた。

これに伴い井上長永は事務所移転を決意、新たな拠点として大阪市
福島区を選び事務所を建築した。

完成した新社屋は、自社倉庫を併設するなど物流の拡充に努めると
共に社是である「社業の繁栄と社員の幸福」の精神を守り、社員の
ために卓球台等の娯楽施設や社員寮を作った。

社員達はさらなる販路の拡大の為に関西一円を駆け回り、まさに労使一体となって事業を発展させていった。

  • 移転した新社屋(大阪市福島区)
  • 船場電気化材 野球部

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1968年(昭和43年)~新たな事業への挑戦

時代背景

1960年代後半より日本経済は大きく拡大し、世界第二の経済大国となった。
経済の成長は国民の生活様式を大きく変化させる事となり世間では「3C」自家用車・
カラーテレビ・クーラーが普及する等、企業は生産性に付加価値を求められる時代を迎えていた。

時代の転機に電子回路材の将来性に着目した井上長永は、名古屋にプリント基板加工工場を設立した。
プリント基板の設計から製造までを一貫して行える商社として、顧客のニーズに柔軟に対応する事が可能となり競合他社との差別化に成功し大きく飛躍するきっかけとなった。

工場では「製品を通じ、人間社会をより豊かに、そして素晴らしい
ものにする」という思いで物造りに励み、営業マン達は「自社で基盤を作ります!」「図面から全てまかせて下さい!」を売り文句に全国各地を駆け回った。その結果、販路も拡大し関東地区の東京営業所を始め姫路営業所・中部地区に名古屋営業所を開設した。
1970年(昭和45年)さらなる業容充実を計り資本金を増資、社名を新たに 船場電気化材株式会社 とした。

当時の名古屋工場

  • 当時の製品写真(1)
  • 当時の製品写真(2)
  • 昭和54年 初の海外旅行(マカオ)

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1983年(昭和58年)~新世代

時代背景

当時の日本経済は円高不況に陥り、これに対して日本銀行は低金利政策を実施した。この金融緩和により景気が拡大、後にバブル経済と呼ばれる時代へと移り変わった。1989年に年号は昭和から平成に改元され、初の一般消費税が導入されるなど時代は新たな変革の時を迎えていた。

船場電気化材は世代交代の時期を迎え、井上長永が会長に、代表取締役社長には井上衞が就任、さらなる継続的発展を目指し新たなスタートを切った。

大手電機メーカーなど製造業が海外生産へと移行していく中、当社は業容拡大に努め1994年(平成6年)
初の海外拠点として中国昆山市に船場不二電器配件(昆山)有限公司を設立、翌年には香港に船場電気(香港)有限公司を設立し、本格的に海外ビジネスへの参入を始めた。

「楽しい職場で製造、誇りを持って送り出した製品が、豊かな人間環境造りに関わりあう」ビジネスが
多様化し世代が変わっても社是の精神は変わる事なく伝えられた。

  • 韓国での社員旅行集合写真
  • 顧客ニーズに合わせ取扱い製品の多種・多様化に尽力した
  • 船場電気(香港)有限公司設立

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2000年(平成10年)~グローバルネットワークの時代へ

時代背景

2000年代に入ると時代の移り変わりと共に、社会の仕組や人々の価値観も大きく変わり世界的にインターネット関連の株価が上昇しインターネットバブルの時代を迎えた。
企業のIT化も勢いを増し多種多様な産業が発展するきっかけとなった。産業の海外進出は更に
進み、後に国内産業の空洞化やデフレ不況へとつながる事となる。

船場電気化材もIT化に力を注ぐと共に販売においては時代のニーズに合わせ、これまでの絶縁材・テープ・回路基板・建材だけに留まらず、現在の携帯電話・スマートフォン等に活用される化成品まで
幅広く事業展開した。海外拠点も勢いを増し、新たに上海・蘇州に
事務所と工場を開設するまでに至った。

2009年には創業90年の節目を迎えた。ここまでの継続的発展を
続けてこられたのは関連会社・取引業者様の支えと共に、社員達が
創業時の精神を変わることなく大切にしてきたからだと感じた。

蘇州先陸清精密電子材料有限公司

  • 先陸清電子(上海)有限公司
  • 深圳事務所
  • 船場電気野球部グリーンスタジアムにて

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2014年(平成26年)~新たな出発の地

創業100周年に向かって

2014年、約50年の間お世話になった大阪市福島区の本社建屋も老朽化が進み耐震性の面でも限界と
なってしまっていた。
この為、当社は本社事務所の移転を決定、新たな起点の地として大阪府吹田市江坂を選んだ。

完成した新社屋はLED照明等を導入し省エネルギー・リサイクル・リユースそして廃棄物の削減にも留意して、近代化だけでなく時代に沿ったより良い職務環境を作れるようレイアウトされた。

2019年に船場電気化材は100周年という大きな節目を迎える事と
なる。社業の繁栄と社員の幸福・社業を通じて社会に奉仕する
共存共栄の精神を忘れず「創業の精神」を後世に伝えながら、皆様に求められる企業として成長して行きたいと考えております。

移転後の新しい大阪本社

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